2020年5月9日

蘊蓄 其の一 『無刀取り』

 時代劇や小説に柳生がでてくると、お約束として「真剣白刃取り」が「無刀取り」と称してよく画かれます。「真剣白刃取り」という愚行がなぜ世間一般には蔓延したのか不思議に思い、調べたことがあります。
 「柳生新陰流縁起」なる書物があり、この中に流祖(上泉信綱)の出来事として「明光寺(現在の妙興寺:愛知県一宮市)庭の砂に物を書き慰みおり申し候ところに、それ伊勢守と言葉をかけ急に切りかける者あり。(流祖は)飛びちがい、乱入、切りつけ候、刀の棟を左右の手に取って引きすえ、踏み伏せ、危難をのがれ候」と書かれています。
 どうもこの一文の「刀の棟を左右の手に取って引きすえ」という箇所から、後世の人が想像した産物が「真剣白刃取り」のようです。
 流祖が1564年、柳生宗厳(石舟斎)に無刀取りの公案を託して京にのぼり、翌年、柳生庄を訪れたとき、宗厳は信綱に自ら工夫した無刀取りを披露して、流祖より「一国一人印可」を授かったと言われています。この時の技術、「無刀勢」「手刀勢」「無手勢」の三勢法が伝承されてきた「無刀取り」であり、「真剣白刃取り」とは全く違うものです。
 現在、無刀取りは目録を伝授されるとき習得する勢法ですが、大切なことは「無刀取りという『奪刀法』を使える身勢がそれまでにつくり上げられるかどうか」です。一度、見たからといって身につくものではなく、初心の頃より、人中路を意識した体の使い方や拍子(タイミング)、間積り(距離感)を繰り返し稽古し、できるようになる技術です。
 剣術から柔術や合気道が枝分かれしたことからも、剣術は体術と別々なものではなく、身体の使い方は同じものだと考えらます。
 柳生宗矩は『兵法家伝書』の「無刀之巻」で、「無刀とて、必しも人の刀をとらずしてかなはぬと云ふ儀にあらず、又刀取て見せて是を名誉にせんにてもなし。我が刀なき時、人にきられじとの無刀也。いで取て見せるなどと云事を、本意とするにあらず。」と著されています。「勝つこと」より「負けぬこと」を心に止めて、稽古を重ねることが肝要です。(雅月)

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